垣間見える記憶と情緒の連なりに手を伸ばせ

 その日は結局、エレベーターの横のくぼまったスペースで30分ほど立ち往生してしまった。
 
 心理室で検査を行うために入院中の60代男性と歩いてエレベーターの前まで来たのだが、その男性がそのエレベーター脇のスペースにすっと入り、そのまま小声で何やら話し続けて動こうとしなくなってしまったのだ。
 
「あなたはさ、大丈夫なの?・・・そうか、ならいいけど。気をつけないとね。ああいった人たちは夜中でもくるから。いやいやいや本当にね、昨日は大変だった。大変だったんだよ。夜中にさ、窓があいてお坊さんがどんどこどんどこ入ってくんだもの。どんどこどんどこ、途切れないんだもの」
 
 すぐ近くにいかないと聞こえないようなささやき声で延々と話し続ける。わたしに話しているというよりも独り言のように切れ目なく、際限なく、彼は、夜中に窓から次々と入ってきたお坊さんたちに胸の手術をされ、開かれた肋骨から虹色の鶏が出てきたという話を続けた。
 
 脳の術後、こういった不思議な妄想を語る人が時折いる。当時は手術の際に頭を丸刈りにしたので、みんな丸坊主だ。しかも、不思議なことに何故か独特のキラキラした目をしている。まるで手術と共に、世俗的なものを全て洗い落としてきたような、そんな瞳だ。丸坊主でキラキラと澄んだ瞳をした人が、まるで悪夢のような妄想幻覚を延々と語るのは、傍から見ていて何とも現実離れした情景だった。
 
 虹色の鶏に続いて虹色の猫が出てきたあたりで、わたしは話のわずかな切れ目を狙ってパッと声をかける。
 
『それは大変でしたね。じゃあ今,眠いんじゃないですか?』「ねむいねむい、いつだって眠いんだ」『そう、朝ご飯は食べれました?』「食べた食べた、おいしい漬物だった*1」『病院のご飯はどうでした?お口に合いました?』「しーっ!…ほら、聞こえる。ね、やっぱりな。来たんじゃないかな、夜中だってくるぐらいだから。本当にね、昨日は大変だったんだよ」
 
 失敗。現実的な話をしていくつもりが、急に話が変わってしまった。しかも、わずかに表情が固い。ささやき声にはほとんど抑揚がなく感情が読み取れないのだが、口に人差し指をあてて、あたりを見渡す顔には警戒の色がうかんでいる。それは大変でしたね、とあきめて相槌をうつと、彼は再び昨晩の話をはじめた(ご丁寧にもさっき話した内容を最初から一通り出す)。そして話が、虹色の鶏を食べると不老不死になるというところまで進んだところで、もう一度口を挟む。
 
『よし!じゃあAさん、検査があるからわたしの検査室に行きましょうか!』全く何の脈絡もなく、明るい声と笑顔と勢いだけを頼りに雰囲気を変えてみる。と、彼は「ああ、そうか、いこういこう」と思わぬほどにスムーズに応じて一緒に歩きかけたが、わたしが先導してエレベーターの方へと向かうと突然くるりと踵を返し先ほどのスペースにすっと戻り、窓の桟をまるでそこに何か重大な秘密が隠されているかのように凝視しながら、彼は再び語りだした。またも失敗。今日はもう無理だろうか。
 
 途中、看護師やリハビリのスタッフが通りかかり、その度に”動けないんだ?”といった苦笑交じりの表情で、目を合わせてくる。1度、若い男性スタッフが『Aさぁ~ん!』と明るいノリで話しかけて、一緒に誘導しようとしてくれたが、それもまた徒労に終わった。
 
 窓からはくもり空が見えている。もうすぐ雪が降る時期だ。暖房の暖かい風が入ってこない廊下のくぼみは肌寒い。厚着をさせられている患者さんと違い、半そでのユニフォームからむき出しのわたしの腕には鳥肌が立っている。Aさんは、坊さんたちが虹色の鶏と猫の毛をむしり取る様子を話し続ける。集中力の切れた頭で、わたしはぼんやりと鳥も寒かろうと思う。
 
「あなたはそれで?大丈夫だったの?」『大丈夫ですよ、Aさんこそ病院には慣れました?』「いーや、全然だね」『そりゃそうですよね、気付いたら急に入院されていたのですものね』「いやホントたまげたたまげた。これからどうなるんだか…」『大丈夫ですよ、頭の出血だったけど手術も終わって、血も止まって、あとはうちの病院でリハビリして退院するだけですから』「あー、なら良かった」『よかったですよ、本当に。じゃあそろそろ検査に行きましょうか、すぐ終わりますから』「じゃ行くか」。
 
 繋がった。Aさんとわたしはこれまでのやり取りが全くなかったかのようにスムーズにエレベーターに乗る。
 
 エレベーターの扉が閉まるとAさんは「かあちゃんも心配してっだろうな」と少し不安そうな表情で呟いた。『そうですね』と言うと、Aさんは恥ずかしそうに笑い「早く帰らないと、かあちゃんに”もう帰ってこんでいいわ!”っていわれるかもな」と冗談めかして言った。さっきの張り詰めた表情とは打って変わった,人のよさそうな顔だった。そこには、Aさんの病気になる前の、普段の姿があった。わたしは何と言っていいか分からず曖昧にほほ笑んだ。つい数日前,Aさんの奥さんに「この状態のまま帰ってこられたらどうしていいか分からない」と涙ながらに相談されたばかりだった。
 
 記憶と感情が繋がる瞬間はいつも突然訪れる。そうして、その時に垣間見える患者さんの”本来の姿”は、私の心を猛烈に揺さぶる。ちょっとした言葉、表情に、その人の積み上げてきた何十年という年月が滲み出る。その計り知れない重みと、それをいとも容易く壊す病の力。そして何も出来ない私たち。つかの間に交錯する時間の中でいったいわたしは何が出来ているのかと途方にくれる。
 

*1:もちろん朝食に漬物は出ていない。この方には重い記憶障害があった。