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「音のない音」を聴くということ

 合気道のお稽古で呼吸法に入る前の精神統一のときに、「音のない音に耳を傾ける」と先生が言われることがある。音のない音。
 
 始めてこの「音のない音」という言葉を聞いたとき、前回の選択実験の話を思い出した。
 もしかしたら、わたしたちが「音のない音」を聴こうと決めて身体にそれを命令するとき、わたしたちは本当に「音のない音」を聞いているのではないだろうか。ただ、その情報や過程が意識の上にあがらないだけで、わたしたちの身体は、耳は、皮膚は、脳は、実際に「音のない音」を感覚情報として受信し、その情報は脳で処理され、そして何らかの影響を身体や思考に与えているのではないだろうか。
 選択実験の「意識にあがらない情報処理がある」という結果をふまえると、この「音のない音」もとてもリアルなものに感じられてくる。
 
 「目には見えているけれど認識できないもの」「情報処理はされているけれど意識にあがらないもの」が実際にあるのだと知るといろいろな可能性が考えられておもしろい。世界にはまだまだわたしたちの認識していること以上の物事があるのかもしれない、そんな風に思えてくる。
 
修業論 (光文社新書)

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 ちなみに合気道始めたのはこの方の影響だったりする…。