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不自由で残酷な子ども時代を生き抜くために【本】

 子ども時代は厳しい。よく「社会は厳しい、世間は厳しい」とは言うけれど、それを言うなら子ども時代だって相当厳しい。

 子どもたちは、一見自由であるかのように見えるけれど、実際はまったく自由ではない。考えてみれば当たり前だ。親の都合に左右され、その地域の環境に左右され、そして学校という名の元集められた有象無象の学友たちに左右される。心身ともに未熟で自分で使えるお金もない。それゆえ自分で居住地を変えることも、文化や教育を選ぶことも、付き合う友人を選ぶことも出来ない(もしくは非常に限られた選択肢しか与えられない)。

 その点、大人は違う。自分の能力の限界やら何やらという足かせはあれど、働くことさえ出来れば、ある程度は自分の裁量でお金を使い、仕事や環境を選ぶことが出来る。フリーダム!フリーダム!「何かを選択できる自由」というものはすばらしい。そういえば、認知症研究でもストレス研究でも「自分にまつわることについて選択できるか否か」がQOLを向上させストレスを減らすことが証明されていたではないか。自由万歳!

 そしてもう1つ。子ども時代というのは去勢の時代だ。もしくは文化化される時代。泣けば乳が与えられ、歩けば褒められ、自分が笑えば誰もが喜んでくれるという乳児期の魔術的万能感(何でも出来る!!)は、少しずつ「大人になっていく」過程の中で、親やきょうだい、友だち、先生、勉強、スポーツ、世間体、常識…といった現実たちによって壊されていく。時に急激に、時に緩やかに。自分自身に対する理想や願望は現実的な身の丈にあったものに変えさせられていく。

 しかし、子どもたちは美しい。不自由な中で、定められた運命の中で、去勢され、無力化され、それでも生きていく子どもたちは美しい。

 彼らは小さなものに喜びを見つけ、わずかな楽しみに耽溺する。見ているこちらが理解できない対象に夢中になり熱狂し、それらを大切に大切にする。拾った小石、大好きなカード、日曜のアニメ、おもちゃの腕輪。それらはきっと、彼らが辛く厳しい子ども時代を生き抜くための心的な支えだ。

 豊かな想像力の中で、彼らは現実を乗りこえるだけの力をもらう。小さな小石は錬金術の魔法石であり、きらびやかなカードは最強の力を有し、そしてアニメの登場人物は自分の化身なのだ。その想像、その情熱、その喜び。それらを手に不条理と不自由に満ちた世界を生き抜く、子どもたちは美しい。

 

「小公女」

小公女 (福音館古典童話シリーズ 41)

 「小公女」と聞いて、優しさに溢れ誰にでも公平な”優等生”をイメージする人には、ぜひ原作を読んでほしい。”優等生”の小公女セーラではなく、理想の自分と現実の自分のはざまで苦しむ、生身のセーラを知ってほしい。彼女は周りの子よりも少しだけ頭が良くて、想像力豊かで、そうしてその分だけ苦しんでしまう、普通の女の子だ。心の中で相手を罵り、怒りにまかせて人形に八つ当たりをし、後悔してむせび泣く。そのリアルな心の動き。自分の想像力と矜持だけを手に、現実を変えようとするその逞しさ。物語的にも苦しんで苦しんでのハッピーエンドでカタルシスも得られる。

小公女 (福音館古典童話シリーズ 41)

 

クレヨン王国 月のたまご

クレヨン王国 月のたまご PART1 (講談社青い鳥文庫)

 児童文学と侮るなかれな愛と冒険のスペクタクル。クレヨン王国シリーズはどれも心躍る冒険譚でありながら、人間の深みも描いている物語揃いなのだけれどベストは文句なしにコレ(時点は「クレヨン王国のパトロール隊長」か)。

 6巻まであるのだけれど、12歳のまゆみが愛を知って(変な意味ではない)、少女から少しずつ大人になっていく姿のしなやかさときたら。そして恋敵であるダマーニナの運命の過酷さ。ここには愛のすばらしさと切なさ、嫉妬や孤独の激しさが、子ども向けとは思えないほど切実に描かれている。物語の道化役や悪役、ちょっとした脇役たちにも人生の豊かな物語がつまっているのも見どころ。

クレヨン王国 月のたまご PART1 (講談社青い鳥文庫)

 

 「はてしない物語

 はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)

 全国の本好きの子どもたち、特に、現実に背を向けて本の世界に耽溺することに喜びを見出していた子どもたちは男の子とも女の子も皆、ページをひとたびめくればバスチアンに自分を重ね合わせてファンタ―ジエンを旅することが出来る、これぞ魔法の1冊。本の中から響く声に当時どれだけドキドキしたことだろう。しかし、ここでも残酷なまでにリアルに描かれるのは人間の欲望や妬み、自己愛や劣等感だ。決して"イイコ"ではないバスチアンの振る舞いを我々は誰も笑うことが出来ない。

はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)