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暗澹たる圧倒的現実を知れ

 「世の中には2種類の人間しかいない。貧困を知る者とそうでない者だ」。という言葉があるかどうかは知らないけれど、あってもおかしくないんじゃないか、とか思う。

 うちの親族は貧困を知らない。そしてわたしも貧困を体験したことはないのだが、仕事では貧困にある人に接することがある。ただ、仕事が仕事なので、生活保護はもちろんだけれど、大体はその貧困の影に病気や障害、虐待や育児放棄といった家庭環境が見え隠れするケースがほとんどだ。また、都心部でも地方でも、問題が生じて医療にかかるまで、必要な医療にも福祉にも全繋がっていないような、一体これまでどうしてきの?!と言いたくなるようなケースも少なくない。

 少し話がずれたが、親族と話していて痛感するのは、貧困を知らない人たちに貧困を伝えることの難しさだ。貧困を知らない人たちは、そこまで壮絶な貧困があるということ自体をうまくイメージ出来ないし、いくら伝えても全くリアリティーを持てない。当たり前だ。自分の身に起こるとは思えないのだから。直接言葉を交わすこともないのだから。その姿、その視線、その語りを体験することがないのだから。

 貧困の果てに起こった痛ましい事件のニュースやわたしが話す貧困の例を聞くと、彼らは眉をしかめて同情する。「それは可哀想ね」「そういう人たちもいるんだな」。でもそれだけ、それだけだ。別にそれが悪いとは言わない。惡とは言わない。ただ、貧困にある層と貧困を知らない層の壁はとても厚いと実感する

 世の中にはにはどんな不幸でも起こりうる。しかし、私たちの想像力はそれこそ貧困だ。何の情報もなしに、世の中に今どんな不幸が存在するのかなんて知る由もない。それを知ってどうする?という声もあろう。悲劇を知ってどうする、不幸を知ってどうする。どうにも出来ないことならば、別の世界のことならば、別に知らなくても良いだろう、と

 しかし、こういう現実というのは1人でも多くの人が知ることというのが大事だし、ぶっちゃけ知ることからしか始まらないのではないだろうか。それを知って何をするわけでなくてもいい。募金をしなくてもいいしボランティアをしなくてもいいし、毎日胸を痛めなくてもいい。ただ、まずは「想像もできないような現実がある」と知ること、0を1にすることが意味を持つと思う。どんな差別も苦悩も、それを知る人が少しでも増えなければ何も変わらない。
 

闇金ウシジマくん

闇金ウシジマくん 1 (ビッグコミックス) 

 貧困とか抜きにしても普通におもしろい漫画。あれよあれよという間に身を崩して貧困の底辺に落ちていく現代人のさまざまなパターンが網羅されている。

 

「最貧困女子」

最貧困女子 (幻冬舎新書)

 これは多くの人に読んでほしい良書。貧乏と貧困は違う、とはあるけれどその通りだ。貧乏は「貧乏でも楽し」といった「金が無いなりのQOL(クオリティオブライフ;生活の質のこと)」を高めることができるが、貧困は違う。そういった質とか楽しみといった概念はこうべを垂れてすごすごと退場するしかないような圧倒的な過酷さがある。
 また、著者は、人は低所得に加えて「3つの無縁(家庭の無煙・地域の無縁・制度の無縁)」「3つの障害(精神障害発達障害知的障害)」から貧困に陥ると述べているのだけれど、後者の3つの無縁については、確かに精神科臨床の現場にいるものとして納得がいく。障害によって安定した就業が難しく、加えて支援への繋がりにくさもあるために結果的に前者の「3つの無縁」を引き起こしやすい実態があるのだ。
 

「ギャングース」

ギャングース(1)

 「最貧困女子」の著者が原作をしている漫画。「最貧困女子」が貧困女子についてならば、こちらは男子版とでも言おうか。ただ、漫画はどちらかというと犯罪漫画という感じ。犯罪の裏事情とか豆知識がたくさんで、オレオレ詐欺とかいった昨今の犯罪の裏はこんな風になっているのかー、と普通に興味深く読める。また主人公のキャラがいいし、「ウシジマくん」ほど後味悪くない。

追記

 「最貧困女子」の著者は対策案もいくつか提示しているが、そこにあった「夜もやっている学童」に近いものを実践しているNPOはすでにあるみたい。でも対象年齢はちょっと高めなのかな。
 

www.colabo-official.net

 

 

 

物語における理不尽な死が好きだ

 物語における理不尽な死が好きだ。1人1人の個別性も尊厳性もなく惨めに虫けらのように殺される、そんな死が大好きだ。
 
 それは私たちに普段はキレイに隠されているこの世界の無慈悲さを思い出させる。私たちは誰だって何も意味も大義もなく簡単に死んでしまう存在なのだ。いくら高尚なことを考えていたって、どんな偉業を成し遂げていたって、私たちの肉体はとても脆く世界はとても残酷で、死ぬときはもうあっけないくらいに簡単に死んでしまう。その無常さをあっさりと描いてくれる、そんな残虐な物語が大好きだ。
 
 理不尽な死の前で繰り広げられる、運命に抗おうとする無駄な努力や奇跡を願う祈り。そういった人間の営みのいじましさと力強さ。死と対比されると人間の営み全て、弱いものも醜いものも含めた全てがかけがえのない厳かなものに思えてくる。
 
かわいいもの、美しいもの、幸せで輝いているものを好むのが人間です。でも世の中すべてがそういう美しいもので満たされているわけではなく、むしろ美しくないもののほうが多かったりすることを、人は成長しながら学んでいきます。この世の中には醜いものや汚いものがあり、人間の中にも残酷なことをする人がいる。
 
まだ幼い少年少女には想像もできないほど過酷な部分が現実の世の中にはあって、それを体験しつつ、傷つきながら人は成長していく。現実の世界はきれいごとだけではすまないことを誰でもいずれ、学んでいかざるをえない。何しろ極端な場合は、頭に隕石がぶつかって死ぬような不条理なことだってありうるわけですから。
 
でも世界のそういう醜く汚い部分をあらかじめ誇張された形で、しかも自分は安全な席に身を置いてみることができるのがホラー映画だと僕は言いたいのです。<中略>窮極の恐怖である死さえも難なく描いてみせる、登場人物たちにとって「もっとも不幸な映画」がホラー映画であるとだから少年少女たちが人生の醜い部分、世界の汚い面に向き合うための予行練習として、これ以上の素材があるかと言えば絶対にありません。もちろん少年少女に限らず、この「予行練習」は大人にとってさえ有効でありうるはずです。
 荒木飛呂彦荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論」p.15-17
荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論 (集英社新書)

荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論 (集英社新書)

 

 

 ということで、人が不条理にたくさん死んでいくメジャー漫画3つ。説明はいらないですね。

GANTZ 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) 

進撃の巨人(16) (講談社コミックス)

アイアムアヒーロー 17 (ビッグコミックス)

  「進撃の巨人」はなんか小難しくなってきちゃったけど、「アイアムアヒーロー」は何というかあの予断を許さない展開が好きです。
 
 

こんにちは中二【中二の教科書3点】

 【中二】もしくは【厨二】

 捩じ切れる自意識と孤独の中、ただただ無限に劣等感を膨らませる暗黒の時代。己の力を過信して周囲を蔑みあげつらい、その倍以上に己を憎む。性と死を渇望しながらも大半のものを拒絶する。命をかけた自己陶酔。疾風怒濤の季節。
 
中二になったばかりの5月のある朝、わたしはいつものように家を出て学校に向かい、途中で公園のトイレに立ち寄り、制服を脱いで用意してきた私服に着替えると、ABCマートの袋に脱いだ制服を入れて個室に放置し、そのまま東京駅に向かった。過保護な家庭で育ったわたしは一人で電車に乗るのもましてや東京駅に行くのも新幹線に乗るのも初めてだった。だから事前に買った時刻表で確認したはずの新幹線の値段が思ったよりも高くて、行きの分しか切符が買えなかったのも仕方がない。何もかも初めてだったのだから仕方ない。駅員の示した金額を見てわたしは「あ、帰れなくなる」と思ったがそれ以上は深く考えないままお金を払い、数か月分のお小遣いと引き換えに手に入れたその切符を片手にホームに向かった。新幹線に乗って名古屋まで向かう間、聴いていたのは当時大好きだったユニコーンの歌だった。「届かない身動きも出来ないひとかけらの夢崩れてく」初期の頃のやや陳腐な恋の歌。別に失恋したわけでも何でもないのに恋の歌を聴きながら家出をしたのは何故だろう。でもいまだにあのフレーズは覚えてる。届かない身動きも出来ないひとかけらの夢崩れてく。
 
 ということで、中二的心性の個人的かつ古典的神3名。
 

太宰治

人間失格 (集英社文庫)

 太宰を中二に読まずしていつ読む!という本であることは満場一致と思うのだけれどどうだろう。合わない人には全く合わないようだけれど、合う人にとっては泥沼のような人生の救世主と思えるはず。そして「自分のことをこんなに分かってくれるのはこの人だけだ」からの、「彼のことを最もよく分かるのも自分だけだ」になるまでがお約束。そのくらい心酔したっていいじゃないか14歳だもの。
 

中原中也

 汚れつちまつた悲しみに…―中原中也詩集 (集英社文庫)
「汚れちまった悲しみ」という悩殺フレーズを中二殺しと言わずして何と言おう。ぜひ全国の中二の皆さんには14歳の誕生日の日にこれを暗記してもらいたい。全く汚れていないのが大半で、むしろ汚れたくても汚れられないのが悩みである14歳だけれど、それでも自分が最も汚れているとしか思えなくて、それを隠すために周囲こそが汚れきっているのだと思うのもまた14歳なのだ。
 

寺山修司

 

書を捨てよ、町へ出よう 角川文庫

 「書を捨てよ!街へ出よう!」「家出のすすめ」「時には母のない子のように」などなど、わたしが中二党を作るとしたら絶対キャッチコピーとしてデラデラとしたフォントの赤文字でポスターに激しく書き連ねたい言葉が多数。著作で慣れたら次は映画を見ましょう。サブカルな人になれた気がします。
 ちなみに青森は八戸の寺山修司記念館は館長さんがやさしいし、展示も寺山修司的世界で素敵なので大人になったら行くと良いよ。
 
 

えも言われぬ不安はきっとこんな姿をしているに違いない

Sticky Monsters

 ポルトガル?の子ども向け番組のプロデューサーが描いたモンスターの絵。ネットで知って一目惚れ。

 無表情(少しだけ不安そうにも見える)な子どもたちと、さも当然のように、彼らの背後に、隣に、上空に佇むモンスターたち。可愛らしくも不思議で、えもいわれぬ不安を喚起する。
 こういった不安に関しては、馴染みある人とそうでない人に分かれるのかもしれない。子どもの頃や今でもふとした瞬間などに訪れる抗いようのない不安、世界への不安、自然への不安、存在そのものへの不安。そういったものがありありと再現されているように思う。こういう世界にいた(今もいる)すべての大人たちに。
 

John Kenn Mortensen (Fan) | Facebook ←絵が見れます

 
Sticky Monsters

Sticky Monsters

 

 

 

不自由で残酷な子ども時代を生き抜くために【本】

 子ども時代は厳しい。よく「社会は厳しい、世間は厳しい」とは言うけれど、それを言うなら子ども時代だって相当厳しい。

 子どもたちは、一見自由であるかのように見えるけれど、実際はまったく自由ではない。考えてみれば当たり前だ。親の都合に左右され、その地域の環境に左右され、そして学校という名の元集められた有象無象の学友たちに左右される。心身ともに未熟で自分で使えるお金もない。それゆえ自分で居住地を変えることも、文化や教育を選ぶことも、付き合う友人を選ぶことも出来ない(もしくは非常に限られた選択肢しか与えられない)。

 その点、大人は違う。自分の能力の限界やら何やらという足かせはあれど、働くことさえ出来れば、ある程度は自分の裁量でお金を使い、仕事や環境を選ぶことが出来る。フリーダム!フリーダム!「何かを選択できる自由」というものはすばらしい。そういえば、認知症研究でもストレス研究でも「自分にまつわることについて選択できるか否か」がQOLを向上させストレスを減らすことが証明されていたではないか。自由万歳!

 そしてもう1つ。子ども時代というのは去勢の時代だ。もしくは文化化される時代。泣けば乳が与えられ、歩けば褒められ、自分が笑えば誰もが喜んでくれるという乳児期の魔術的万能感(何でも出来る!!)は、少しずつ「大人になっていく」過程の中で、親やきょうだい、友だち、先生、勉強、スポーツ、世間体、常識…といった現実たちによって壊されていく。時に急激に、時に緩やかに。自分自身に対する理想や願望は現実的な身の丈にあったものに変えさせられていく。

 しかし、子どもたちは美しい。不自由な中で、定められた運命の中で、去勢され、無力化され、それでも生きていく子どもたちは美しい。

 彼らは小さなものに喜びを見つけ、わずかな楽しみに耽溺する。見ているこちらが理解できない対象に夢中になり熱狂し、それらを大切に大切にする。拾った小石、大好きなカード、日曜のアニメ、おもちゃの腕輪。それらはきっと、彼らが辛く厳しい子ども時代を生き抜くための心的な支えだ。

 豊かな想像力の中で、彼らは現実を乗りこえるだけの力をもらう。小さな小石は錬金術の魔法石であり、きらびやかなカードは最強の力を有し、そしてアニメの登場人物は自分の化身なのだ。その想像、その情熱、その喜び。それらを手に不条理と不自由に満ちた世界を生き抜く、子どもたちは美しい。

 

「小公女」

小公女 (福音館古典童話シリーズ 41)

 「小公女」と聞いて、優しさに溢れ誰にでも公平な”優等生”をイメージする人には、ぜひ原作を読んでほしい。”優等生”の小公女セーラではなく、理想の自分と現実の自分のはざまで苦しむ、生身のセーラを知ってほしい。彼女は周りの子よりも少しだけ頭が良くて、想像力豊かで、そうしてその分だけ苦しんでしまう、普通の女の子だ。心の中で相手を罵り、怒りにまかせて人形に八つ当たりをし、後悔してむせび泣く。そのリアルな心の動き。自分の想像力と矜持だけを手に、現実を変えようとするその逞しさ。物語的にも苦しんで苦しんでのハッピーエンドでカタルシスも得られる。

小公女 (福音館古典童話シリーズ 41)

 

クレヨン王国 月のたまご

クレヨン王国 月のたまご PART1 (講談社青い鳥文庫)

 児童文学と侮るなかれな愛と冒険のスペクタクル。クレヨン王国シリーズはどれも心躍る冒険譚でありながら、人間の深みも描いている物語揃いなのだけれどベストは文句なしにコレ(時点は「クレヨン王国のパトロール隊長」か)。

 6巻まであるのだけれど、12歳のまゆみが愛を知って(変な意味ではない)、少女から少しずつ大人になっていく姿のしなやかさときたら。そして恋敵であるダマーニナの運命の過酷さ。ここには愛のすばらしさと切なさ、嫉妬や孤独の激しさが、子ども向けとは思えないほど切実に描かれている。物語の道化役や悪役、ちょっとした脇役たちにも人生の豊かな物語がつまっているのも見どころ。

クレヨン王国 月のたまご PART1 (講談社青い鳥文庫)

 

 「はてしない物語

 はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)

 全国の本好きの子どもたち、特に、現実に背を向けて本の世界に耽溺することに喜びを見出していた子どもたちは男の子とも女の子も皆、ページをひとたびめくればバスチアンに自分を重ね合わせてファンタ―ジエンを旅することが出来る、これぞ魔法の1冊。本の中から響く声に当時どれだけドキドキしたことだろう。しかし、ここでも残酷なまでにリアルに描かれるのは人間の欲望や妬み、自己愛や劣等感だ。決して"イイコ"ではないバスチアンの振る舞いを我々は誰も笑うことが出来ない。

はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)