読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

何の意味があるのかと問われようともそこに意味はある

 療養病棟の一角にあるその病室はとても静かだ。寝たきりで意識も朦朧とした人しかいないため、部屋の空気はほとんど動かず、呼吸器や酸素マスク越しに痰の絡んだ呼吸音だけが聞こえる。硬直し奇妙な方向に捻じれた手足。閉じられた瞼、もしくはあらぬ方向を見つめる目。お腹から出た栄養チューブ。
 
 西向きの病室は午後になると異様に日がさすため、避暑地にも関わらず蒸し蒸しとした暑さになる。それでも感染症対策は必要であるため、その部屋にはマスクと帽子、ビニール手袋にビニールエプロンをして入らなければならない。わたしは心理士なのでコミュニケーションができる患者のいないその部屋には滅多に入らないのだが、それでも時折、医師から処方があった時には、ビニール製の帽子やエプロンを慣れない手つきでつけてその部屋に入った。
 
 その病院では、重度の意識障害のある患者にも心理士の処方が入ることがあった。カルテを見ただけでコミュニケーションがとれないため関われないだろうと分かるのだが,処方がありながら一度も会わずに「できません」と突っぱねるのも気が引ける。そのため、処方が入るたび-つまり何週間かに1度-はその部屋に入らなければなかったのだが、正直それはあまり気の進まない仕事だった。
 
 大体、声をかけるやり方は一緒だ。まず、名前を呼びながら本人の視線の先に行き、わたしの姿が視界に入るようにする。笑顔で。「〇〇さん、こんにちは」大きな声ではっきりと。「心理士の○○です、初めまして」肩か手首あたりに手を置き、声の抑揚に合わせて力を軽くこめる。声をかけるタイミングは患者さんの呼吸にあわせることが多い。吐くときに合わせて声をかける。吸っている間は黙る。また吐くときに声をかける
 
 もし反応や表情変化があれば、「聞こえますか?」「ここがどこだか分かりますか?」など質問をする。頷きや首ふりといった意思表示の反応があれば、年齢や住んでいる場所、今の季節などを聞いてみる(口頭で答えられる方は少なく、頷きや首ふりの応答も最初はあっても途中からなくなっていくことが多い)。
 
 目を開いているけど反応がない場合でも一応いくつか質問をしてみたり、ベッドサイドに家族やペットの写真が飾られていればそれを見せてみたりする。時には冗談も。そうしているうちに、それまで反応ない方の表情が急に変わることが稀にあるのだが、そうでない場合は大抵1人で話し、1人で冗談を言い、1人で笑って終わる(同室に看護師やリハビリスタッフがいると恥ずかしい)。
 
 とにかく、反応が引き出せないか一通りの努力はする。そして、反応がある場合でもない場合でも、いつも伝えることがある。「ここが病院であること」「病気で入院していること」「家族も知っており、治療もしており、看護婦さんもいるので安心していいこと」。なるべく優しい声で。信頼できる医療者のような声で。
 
 聞こえていないかもしれない相手に話し続けるのは、時に虚しく、無意味で無価値に思える。「これが心理士の仕事かよ」心の中で呟くこともある。でもいつも想像するのだ。もし聞こえていても反応できないだけだったら。動けない中で恐怖と混乱に怯えていたら。もし自分が病におちいり、朦朧と浮かんだり消えたりする意識の中で、現状が分からず、不安でたまらない状況だったら。どんな言葉を聞きたいだろうか。どんな声を聞きたいだろうか。何と言われたら安心するだろうか。なけなしの想像力だけを手に、虚しさと徒労で心が満たされないように、無言の相手が人格と歴史をもつ1人の人間であることを思い出し続ける。
 
 そしてもう1つ、いつも頭の片隅で思い出すことがある。入職して4年目にその部屋で会った40代の男性患者のことだ。
 
 彼はほぼ全身の麻痺と硬直のために自分で動くことがなくコミュニケーションも取れないと認識されていたが、初めて会ったとき、頷きや首ふりに”意志”があるように思えたため、しばらく定期的に「おはなし」をすることにした。
 「おはなし」は最初の頃は10分もてば良い方だったが(途中で寝てしまうのだ)、少しずつその時間は長くなり、それと共に、首ふりや頷きといった簡単なジェスチャーを通して確実なコミュニケーションできることが増えていった。そうやって過ぎていった数か月後のある日、ふとした思いつきで彼のわずかに動く左手にペンを握らせてみたところ、書字によるコミュニケーションが可能なことが分かった。
 彼が5分ほどかけて書いた最初の言葉は、「いつもありがとう」だった。わたしが震える線のその文字を判読し、「誰に?」と間抜けな問いをすると、彼はクイと鉛筆の先をわずかに動かしてわたしのほうを指し、「ひゅーー」と気管切開のために音のでない喉を鳴らして泣いているのか笑っているのか分からない表情をした。わたしは絶句し、心理士になって初めて患者の前で涙ぐんだ。
 
 「これが心理士の仕事かよ」音のないその病室にわたしの妙にやさしい声だけが空しく響くとき、何度も心の中でつぶやく「これが心理士の仕事かよ」。でも、同時に何度でも繰り返す。これも心理士の仕事だ。これも心理士の仕事だ。これがわたしの仕事だ。

「異物」の文脈に思いを馳せよー『トラウマの現実に向き合う』の紹介

 この前、1人の他者として尊重されない苦痛、相手の価値観や感情で規定されてしまうことへの拒否感について書いたのだけれど、書いた後に、確か似たようなことについて分かりやすく書いた本があったな、と思って探してみたらあった。水島広子の『トラウマの現実に向き合う ジャッジメントを手放すということ』という本。

 著者は対人関係療法で有名な精神科医で*1、この本は「ジャッジメント」をキーワードに「トラウマ治療に向き合う治療者の態度」について書かれている。「普通の人が体験しないようなこと」を体験している人(トラウマ患者)と関わる際に、治療者側の態度によってどのような問題が引き起こされやすいのかが丁寧に解説された本だ。

 わたしがこの前書いたことはトラウマとは関係のない体験についてなのだけれど、読み返してみたらほぼほぼ同じようなことが書かれていたので紹介したいと思う。*2

 

トラウマの現実に向き合う―ジャッジメントを手放すということ

トラウマの現実に向き合う―ジャッジメントを手放すということ

 

 

ジャッジメントとは何か

 この前書いた「個人の歴史を想像して、その人固有の価値観や葛藤に敬意をもってほしい」というのは、要は「ジャッジメント」しないで欲しいということなのだろう。

 ジャッジメントというのは、ここでは『ある人の主観に基づいて下される評価(p7)』と定義されている。他人やその人生、状況、環境など様々なものに対して「よい/わるい」「すばらしい/ひどい」「親切/意地が悪い」「恵まれている/悲惨」など評価することだ。そして、それは『評価を下す人の個人的なバックグラウンド(パーソナリティ、成育歴、能力、価値観、当日の気分など)を反映する(p7)』。

 著者は、わたしたちは未知のもの、未経験のものに対して不安を感じるため、その対象にジャッジメントを下すのだと言う。わたしたちは、自身の価値観や仮説に基づいて「それは○○だ」とジャッジして、それを「既知のもの」として組み込むことでようやく安心するのだ。それは、自分自身のこれまでの価値観や生き方にスムーズに組み込めないような『自分にとっての「異物」を消化する試み(p81)』といえる。

 

ジャッジメントの暴力性

 ジャッジメント自体は、多かれ少なかれ誰でも半ば無自覚に行っているもので、それ自体は人の自然な行為だ。わたしたちは、初めて出会った物事に対してある程度ジャッジをしていかないと自分自身の価値体系のバランスを保つことが出来ないのかもしれない。

 ただ、著者はこのジャッジメントは様々な問題を孕んでおり、特にトラウマ治療においてはその問題が与える影響は大きいと言う。以下、引用。

 ジャッジメントにはいろいろな面での問題があるが、ここでは特にその「暴力性」に注目しておきたい。ジャッジメントは常に暴力性をはらんでいる。どういうことかと言うと、ジャッジメントは本来「ある人の主観的体験」にすぎないものだが、実際にはあたかも客観的事実のように宣告され、押し付けられるからである。ジャッジメントを下している本人は、「それは自分の主観的体験に過ぎない」という自覚をしておらず、あたかも相手側の問題であるかのように錯覚しているものだ。「あなたはかわいそうな人だ」と言うとき、言っている本人は、本当に相手がかわいそうな人だと思っている。

 ところがそこで下されているジャッジメントは、実際にはある人の主観的体験に過ぎないものなので、ジャッジされる本人の現実との間には「ずれ」がある。ずれているだけでも不快なのに、その「ずれ」を、ジャッジされる側が一方的に引き受けなければならないところが、ジャッジメントの持つ暴力性だと言える。(p7-8)

 著者曰く、トラウマ体験者は圧倒的かつ悲惨な体験をしているが故にジャッジメントをされやすい。

 わたしたちは、想像のおよばないような悲劇的体験をしている人を前にすると、それに圧倒されてどう接していいか分からなくなり、「かわいそうな人」「苦しみを乗り越えた尊敬すべき人」などジャッジしてしまうのだ。そこにはトラウマ体験者への配慮はない。あるのは『どのように関わればトラウマ体験者が最も安心するか、という話ではなく、どのように関われば自分がとりあえず安心できそうか(p12-13)』という視点だけだ。そして、当の本人はそういった扱いに「張れ者扱い」や「距離を置かれるような疎外感」を感じて傷ついてしまう。

 こういったジャッジメントの暴力性は、トラウマ体験者への対応で際立つのだけれど、普段のやりとりにおいても大いに起こり得るものだ。感覚的に馴染みのない生き方や価値観ーそういった「異物」への不安を解消するために人は他者をジャッジする。時に苦笑しながら、時に諭しながら、時に眉をひそめながら。

 わたしが「幸せになれるはずなのに(どうしてなろうとしないの)」と言われたときに傷つき苛立ちを感じたのも、このジャッジによる暴力性を感じたからなのだろう。

 その時わたしは勝手に「幸せになろうとしてこなかった人」「現在、幸せでないかわいそうな人」としてジャッジされ、しかもそのジャッジとわたしの主観的体験とのズレに相手は全く気付いておらず(何なら少しいいことを言った風でさえある)、そのズレをわたしのみが抱えるはめになる、という二重の暴力にさらされるのだ。

 

ジャッジメントを手放すために

 わたしたちは自分の内部に生じるジャッジメントを完全になくすことはできない。しかし、ジャッジをしていることに気づいて、それを手放すことは可能であり、そのためにはトラウマ体験者の『患者の文脈を理解すること』が大事であると書かれている。

 ジャッジメントは自分にとっての「異物」を消化する試みであると言えるが、「異物」というのはあくまでの治療者の文脈から見た「異物」なのであり、患者の文脈から見るとそれは必ずしも「異物」ではないこともある。患者の文脈を理解しただけで「異物」感が消えるものはたくさんある。したがって、患者の文脈を理解することは、ジャッジメントを手放すための強力な手段の一つである。(P81)

 相手の置かれている文脈-これまで体験してきたことや背景として抱えているものなど-を理解することで、「異物」だった相手の価値観や感じ方が「そうせざるを得なかったもの」「その当人にとっては正当であるもの」ということが腑に落ちる。『患者の感じ方の何一つ不適切なものはないということを認めること(p84)』が出来るのだ。

  わたしは前の記事で「わたしの背景にあるだろう歴史を想像して、その過程や葛藤に敬意を払ってほしい」と書いたが、ほぼ同じことだ。

 例え相手の価値観や感じ方に違和感を抱いたとしても、その未知のモノに対する不安に押し流されてジャッジに走らず一旦そこに留まること。この違和感こそ、自分が相手の文脈をまだ十分に理解しきれていないことのサインと受け止め、相手の背景や歴史を理解しようと努めること。これはトラウマ体験者に限らず、自分とは異なる他者を前にしたときに大切にすべきあり方だろう。

 ただ、その実践はたしかに難しい。わたしたちは無自覚にジャッジをするし、気づかぬうちにジャッジをされている。でもジャッジした時もされた時も、そこには相手に対して微かな違和感というのが生じているはずだ。その違和感をどれだけ微細にキャッチできるか、そして、その違和感に対していかにニュートラルな気持ちで直面し続けられるか。そういったことがキーになってくるのではないかと思う。

 

関連図書的な

怖れを手放す アティテューディナル・ヒーリング入門ワークショップ

怖れを手放す アティテューディナル・ヒーリング入門ワークショップ

 

  ジャッジをしない態度についてはこちらの本の方が詳しいかもしれない。ヒーリングとあるので一見怪しそうだけどそんなことはなく、どんな人に対応する時でも心を平安にするための心の在り方について書かれている。

 

  今回、久々に 『トラウマの現実に向き合う』を読み返してみたけど、やっぱり専門家だけが読むにはもったいない良い本だなと改めて思った。専門用語はほとんど使われておらず、具体例も豊富で分かりやすいし、何よりも人の心の細部を丁寧に描いている。人を理解すること、人を助けるということについて考えたい人にはおすすめできる1冊だと思う。

*1:この方の対人関係療法の本や一般向けの自己啓発本は良いものが多いのだけれど、この方個人はTwitterを見ているとちょっと信用できない

*2:わたしがブログでしたいことの1つは、自分の感覚や情緒をなるべく正確にかつ様々に言語化してみたいということなので、同じような内容でも何度も切り口を変えて書きたいと思ってしまう。

生き延びるための10代暗黒絵巻

 わたしは人生で最も苦痛だったのは10代の頃なので、大人になってからの方が生きやすいと感じた。

 虐められていたわけでも勉強ができなかったわけでも虐待があったわけでもないけれど、学校という閉じられた空間と家庭しかないあの頃の閉塞感は気が狂いそうだった。

 自分の自意識に翻弄される毎日の中で、周囲の人間に対する違和感は憎しみや軽蔑へと捻じれ、淡い恋心は叶わず単なる肉欲の交換は傷だけを残す。教育熱心かつヒステリーぎみな両親の絡みつくような愛情と逃げ場のないプレッシャー。自由を保証する成熟とお金はなく、ただただ観念をいじくりまわす時間ばかりがある時代。

 10代というのは時に他から隔絶された世界に迷い込む。暗くて誰もいない世界。そういうものに引きずりこまれ呑みこまれる。それは決定的に自分を変えてしまう力を持ち、そして永遠に忘れられない記憶、消えない傷をわたしたちに残す。そこに光や希望に溢れた言葉は届かない。届くのは暗い物語だけだ。

 

さくらの唄

さくらの唄1~最新巻 [マーケットプレイス コミックセット]

 古い漫画。作者の安達哲ピエール瀧の対談で知り、家の近所の古本屋で買ったのを今でも覚えている。高校生だった。

 ところどころで見られる冷静な絶望感に満ちた台詞がすばらしい。性欲と憧憬、劣等感とルサンチマン。ラストにむけて転げるように展開される下劣な悲劇に分類不能なカタルシスを感じる。

 

ヒミズ

ヒミズ(1)

 これはわりと最近読んだ。周りからすればまだ未来や希望があるように思えても、絶望が「決まっていること」としか思えない心性というのは確かにあって、そういう人にいくら未来に目を向けられる人間が希望に満ちた言葉をかけたとしても、当の本人は自分が対峙している絶望の凄まじさはやはり他者には理解されず、自分は永遠に囚われ続けるしかないのだという思いを増々強めるだろうよ。としみじみと思う本。ラストはあれが正しい。

 

「リバーズエッジ」

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版

 「平坦な戦場で僕らが生き延びること」10代のときにリアルタイムで読んだ。それこそ生き延びるために宝物のように読んだ。今の若い人が読んだらどう感じるのだろう。

 

「なんで幸せになろうとしないの」という言葉のもつ暴力性

 時折、人から「幸せになれるはずなのに(どうしてなろうとしないの)」と言われる。わたしはその度に少し傷つく。

  傷つくのは、それなりの歴史と葛藤をもった個人として扱われていない感じがするからだ。わたしという固有の存在が、相手の価値観や感情で勝手に規定されてしまったように思う。

  「仕事をしていない」でも「結婚をしていない」でも「家族と仲が良くない」「友人がいない」でも何でもいいけど、誰かを「不幸だ」と思ったとき、その相手の「不幸」の背景にあるものに思いを馳せた方がいい。それは空想力と敬意さえあれば出来ることだ。

ほんの少しの空想力と敬意

 誰かのその「不幸」な状態にはそれなりの歴史がある。そしてそれは個人の意志だけで決定されてきたものではなく、個人ではどうにもならない様々な要因(環境や偶然、個人の特性など)が絡み合って成立している。

 人からすれば「なれるはずなのになろうとしていない」と見えたとしても、内実は「なれなかった」「なりたいけれどなれないでいる」「なりたかったけど諦めた」というケースは決して少なくないだろう。個人の意思のおよばない何かに隔てられ、翻弄され、闘って敗北し、そしてその敗北に何とか折り合いをつけ、少なくとも表向きは何事もなかったように自分の人生を受け容れて歩むことを決めた人々。そういう人たちは意外と多い。例え目の前の人がどう見えたとしても、その背後にそういった歴史があるのかもしれないと想像することはできるはずだ。

 さらに言うなら、「幸せになれるはずなのに」と言うときのその「幸せ」と、相手の思う「幸せ」が異なる場合もあるだろう。目の前の人は、いわゆる世間一般やマジョリティとは異なる価値観にもとづいた、独自の「幸せ」の基準をもっているかもしれない。そしてそれは、あなたからしてみれば絶対に理解できない「幸せ」かもしれない。しかし、例え理解も共感もできなかったとしても、その価値観には敬意を払うべきだろう。

 わたしは現在の状態に至るまでの歴史の中でわたしなりの価値観と葛藤を作りあげてきた1人の個人なのだ。固有の悩みと幸せをもった、あなたとは違う他者なのだ。そういうことを想像してほしいし、その過程と現在に敬意を払ってほしい。

ビネット

2年前、わたしの専門領域では高名な先生に仕事と人生に関する相談をした。その際、わたしがある「人生の選択」について話すと、先生は「それはあなたのこれまでの経験からそう思ったの?」と尋ね、わたしが「ええ、まあそうです」と答えると「ああ、そう。…そこにあなたの何かがあるんだろうねぇ」と少しおもしろそうに呟いた。そして別の話題にうつった。

 今でもありありと覚えているということは、わたしにとってとても良い体験だったのだろう。驚くでもなく、過剰に持ち上げるでも下げるでもなく、その選択にまつわるわたしの歴史に思いを馳せ、そこで為されただろうわたしの葛藤と決断を想像し、「そうなんだね」と受け入れる。それは、人生の選択を人から驚かれることの多いわたしにとって、とても新鮮で喜ばしいものだった。

 相手を1人の他者として尊重しているかどうか、というのは些細な言動にあらわれる。わたしたちはそういう些細な言動に無自覚に傷ついたりうれしく感じたりしながら、さまざまな情緒を薄く積み重ねていくのだろう。

理想を主張すればいいわけじゃない

 前の職場の人(医療従事者)と話し、新人指導の大変さについて聞く。

 指導している新人さんが、指導内容や業務環境に対して「学校ではこう習ったんです…」といちいち言ってくるので参るらしい。どうにもその新人さんは学校では習ってないような現実はなかなか受け入れられないようだ。

 まあ気持ちは分からないでもないけど、臨床現場は学校で習ったようにはいかないということを分かっておかないとこの先大変だよなぁと思う。現場というのは、そもそも教科書にあるような分かりやすい病態の人は少ないし、治療に理想的な環境が(人的にも物理的にも)整っていないということは思っている以上に多いのだ。

 自分の同業者を見ていても「理想的な環境ではない」という点にこだわってしまう人というのが一定数いる。そういった人たちは往々にして自分の理想を絶対視して、「こんなやり方は間違っている、だからわたしはやりません」「こんな環境ではその仕事はできません」という頑なな態度を取りやすいのだけど、残念ながらそういった態度は人の反発を招きやすいわけで、結局ますます理想的環境(特に人的環境)が遠のいてしまうという悪循環が生じる。

 理想を追求することは大事だけど、社会に出たら「正しいことを言ってさえいれば上手くいく」というわけではないのだ。「このやり方、この理想が正しいのに、なんであの人たちはやってくれないの!(激怒)」では誰も見向きもしない。

 物理的にも人的にも全く理想的ではない環境の中で、自分の理想と周囲のニーズのバランスを取りながら、いかに自分の出来る最善のことをやっていくか。自分とは異なる価値観や理想をもった人と協業しなければならない時に、いかに話し合いや妥協や主張をおりまぜながら、最もよい道に着地点を誘導できるのか。そういう非常に現実的で泥臭いことを地道に時間をかけてやっていくのがプロだと思うし、そういったことをしている中でしか、自分の理想を実現できる環境というのは作っていけないと思う。思うんだけどなー。

 

やさしいものへの期待とそれに対する警告、ぬいぐるみの話

 懇親会は女性ばかりだった。わたしより若い人が数名と、後はわたしよりも年上の女性たち。みんな同業者だ。

 女性ばかりの会合だとわたしはいつも少しだけ緊張してしまう。嫌われるのでは、と思うのだ。彼女たちがわたしと付き合うメリットは何もないから、変なことを言ったら嫌われてしまうのではないだろうか、いや、もう嫌われているのかもしれない――ここまで明確に意識しているわけではないけれど、うっすらとした不安が常に心のどこかにある。

 懇親会の帰り道、参加者の中で最も年配の女性と最寄り駅が近かったので同じ電車に乗ることになった。白髪混じりのその方はいつも微笑んでおり、この仕事にふさわしい柔らかな雰囲気を身にまとっている。こっちが何を話しても「あら、そうなの」と面白がってくれそうな、あたたかな笑顔。そういえば、会合でこの方がよくユニークな変質者に出会うという話をされた時、誰かが「変質者の人もAさんなら受け止めてくれそうと思うんじゃない?」とコメントをしたらみんなが「確かに」「包んでくれそう」と口々に頷いていた。「包容力のある」「あたたかな」という形容詞はこういう人のためにあるのだろう。

 「ぬいぐるみ、わたしも好きなんです」

 ホームで電車を待ちながら、わたしはAさんに言った。会合で、Aさん一家がぬいぐるみを可愛がっているという話をしてみんなが笑っていたとき、本当はわたしもぬいぐるみの話をしたかったのだ。『わたしも、ぬいぐるみが大好きなんです。昔、買ってもらったものを、今でも大事にしているんです。まるで生きているみたいに思うことがあるんです』

 でもわたしにとってそのことはあまりに大切すぎて、少々の風変りさは受け容れてくれるであろうあの場でも切り出すことが出来なかった。Aさんにも言うつもりはなかったのだが、穏やかに笑っている姿を見ていたら思わず口にしてしまっていた。酔っぱらっていたことも影響していただろう。今は二人きりだから、という思いもあっただろう。

 「あらそうなの」と予想通り笑顔のままで対応してくれるAさんを前に、わたしは自分がまるで人懐っこい子どものような気持ちになっていることに気づいた。それは心地よい甘えだ。自分の大切でかけがえのない内面を見せることへの妙に興奮をおびた喜びと、この人はそれを理解してくれるのではないだろうかという無防備な期待。しかし同時に、頭の片隅から警告の声が聴こえてくる。あんまり開くな、セーブしろ、それはきっと迷惑だ。

 こういう時、わたしは生き生きとした対象希求的な気持ちが内部に踊っているのを感じながら、それをそのまま内部に留めておくことに集中する。ぬるま湯と冷水に片足ずつ突っ込んでいるような気分だ。こころの1部はやわらかく、その感触をたのしんでいるのに、他の部分は冷静に、内部が漏れないような言葉を選ぶ。

 結局、わたしはAさんに、ぬいぐるみを買ってもらった経緯という非常に外的な出来事を語ったあとで、「いいもんですよね~」とあくまで一歩引いた感想を述べ、続いて「移行対象」なんていう学術用語までひっぱり出してきて会話を終えた。自然な流れで話題は変わり、わたしたちは互いの経歴という他愛もない話をし、そのうちに駅に着いたので一緒におりて、改札を出たところで挨拶をし左右に別れた。Aさんは最後まで笑顔だった。

 わたしは思いのほか酔っぱらっていたようで、駅からタクシーに乗って(やたらと天気の話に精をだす運転手さんだった)家に帰り着くと、服だけ脱いでベッドに身を投げ眠ってしまった。ふと目が覚めたときは3時23分だった。真夜中に煌々とした明かりの下で目が覚めたときのさみしい気持ちは何だろう。化粧を落として再びベッドに戻り明かりを消したらなんだか急に哀しくなってしまい、仕方がないのでぬいぐるいを抱いて少しだけ泣いた。ぬいぐるみは黒々とした瞳をこっちに向けてじっとしていた。

 

 やさしいものには心惹かれる。やさしいものには近寄りたい。でもいつもどこかで躊躇してしまう。

 やさしいものは私を弱くする。わたしをやわらかくしてしまう。やわやわとなったわたしは境界線の固さを守り切れず、そこから中身が漏れていく。わたしの中身はとても良い。わたしの中身はとても悪い。だからとってもおそろしい。だからとってもおそろしい。

 

死、もしくは詩

 一番最初に死を意識したのはいつだろう。

 わたしの場合は小学生の頃、一人でシャワーを浴びていた時だ。シャワーの穴から延々とお湯が出てくるのを下からぼんやりと見上げていたら、急に時間というものや毎日というものがこれからも延々と連なっていくのだということをまざまざと実感し、その時間の連なりがもつ永遠にも思える長さと、それでもいつか来る終わりというものにゾッとした。今日、明日、来月、来年といった短いスパンでしか生きていなかったわたしが、これから続いていくであろう長い長い人生の重みと、その終結というものを始めて意識した瞬間だったのだと思う。

 死は怖い。

 人は日々の中でどのくらい死のことを考えるのだろう。わたしはやや生きることへの不安が高い上に白昼夢に陥りやすい人間なので、何でもない時にふと家族や大事な人が死ぬことや自分が死ぬことをこと細かに想像して怖くなる。普段、生きていることの意味はないと考えている割には、死ぬことへの恐怖は滑稽なほど強い。無になるのだ、無に。恐ろしい。

 今生きている人も皆いつかは死んで無になるのだという事実は、よくよく考えてみれば何とも恐ろしいことだけれど、大多数の人々はそういう過酷な現実がいつか身にふりかかることを知りつつも、普段はその事実をどこか意識の外において生活しているのだ(わたしも含め)。そういった、人間の無意識的な防衛のあり方はつくづく凄いものだなと思うけれど、こうやって見ないようにすることで何とか生きていけるという事実は誰の人生においてもたくさんあることなのだろう。

 しかし、メメント・モリ、だ。メメント・モリ。死を記憶せよ。

 別に「いつか来る死を忘れずにかけがえのない毎日を大切にしよう!」なんて思っているわけでもないのに、わたしはこの言葉が好きだ。メメント・モリ。死を意識することは、自分が生きている間に何をしたいのかに目を向けさせてくれる。

 わたしが人生でしたいことは、毎日を大切に過ごすことでも何かを成し遂げることでもない。わたしが生きているうちにやりたいことは、自分のもっているありとあらゆる本質を発揮し尽して死にたいということだ。その本質は、美しいものや純粋なものもあれば、醜くておぞましいものもあるだろう。でも、よいものも悪いものも全て、わたしをわたしたらしめている全ての本質を余すことなく展開して死にたいと思うのだ。例えそのせいで不幸になっても、何も成し遂げられなくても、想像を絶する孤独に終わってもいい。わたしはわたしの本質の全てを体験したい。そこからぶれないために何度も繰り返すのだ、メメント・モリメメント・モリ。わたしはいつか死ぬ。

 

「デッドマン」

デッドマン [DVD]

 胸を撃たれた1人の男性(ジョニー・デップ)が時間をかけて死へと至るイニシエーションにまつわる映画。ストーリーはあるようなないようなって感じだけれど、美しい映像と胸にひびく音楽、そしてたくさんの象徴に満ちている。電車での移動に始まり、カラーから白黒へ、動物たちの死、インディアンの儀式、死んだ詩人。

 人生で一番きつかった時に映画館で見たものなので、余計に思い入れが強い。

 

「眠る男」

眠る男 [VHS]

 群馬県が作ったというわりに、監督も出演者もしっかりとした映画。群馬の実に日本的で美しい自然の中で、死んだように眠り続ける男性と、それを取り巻く村の人々。静かな作品。

 

「バナナフィッシュにうってつけの日

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

 サリンジャーのグラース家シリーズの短編。タイトルも目を引くけれど、最初に読んだときのインパクトが何とも大きい。世の中にはこんな風に訪れる死もきっと多いだろうなと。

 

おまけ

 自然の中で死ぬということを考えるときがあるので、この2冊を読んでみたい。

死―宮崎学写真集

死―宮崎学写真集

 
死を食べる―アニマルアイズ・動物の目で環境を見る〈2〉

死を食べる―アニマルアイズ・動物の目で環境を見る〈2〉